その日ぼくは被災者になった。
1年前
熊本地震。ぼくの住んでいる町は震度6強。身動きの取れないほどの揺れ。身のみきのまま家から出るだけで精一杯だった。
とにかく逃げることだけを考えていたような気がする。いや、なにも考えていなかったのかもしれない。勝手に体が動いた。死ぬとか考える余裕さえなかった。
毛布にくるまった嫁はいつまでも震えていた。寒いからなのか怖いからなのか。
余震が続く中、めちゃくちゃになった家の中から車の鍵を見つけ出し車の中で一夜を過ごした。テレビの中の人達も慌てていた。夜が明けるにつれ被害状況がテレビで映しだされた。
赤橋(阿蘇大橋)の崩落をニュースで聞いたとき言葉では言い表わせない気持ちになった。この気持はなんだったのだろう。おさらく壊れないと思っていたものが跡形もなくなってしまったことへの恐怖心だったのかもしれない。改めて地震の怖さを知った。
家は倒壊を免れた。見た目はいままでどおり住めると思った。判定結果は半壊扱いとなった。
避難所の駐車場で1週間ほど車中泊をした。自衛隊の用意してくれたお風呂に入った。
いろんな県から消防や警察が駆けつけてくれた。
ボランティアの人もたくさん来てくれた。
被災者どおし励まし合いながら1日1日を乗り切った。
1年後
熊本城の復旧作業が本格的に始まった。
天守閣は5月のゴールデンウィークのあとからカバーがかけられその姿は見えなくなる。工事終了は2019年の予定。熊本城の完全復旧は20年後。
熊本城の桜は去年より10日ほど遅れて満開になった。行幸坂が期間限定で開放され多くの人で賑わっていた。
去年、熊本城の桜を撮影にいったがいろいろな事情が重なり諦めてしまった。あの姿の熊本城は2度と見ることができない。なぜあの時写真に収めなかったのか。悔やまれる。
震災から1年。阿蘇大橋に向かった。衝撃的な光景だった。
震災の前はたくさんの車が行き交う場所だった。いまは工事車両の音だけが響きわたっていた。でもなぜか静けさを感じた。
震災の1週間ほど前、一心行の桜を観に行くため阿蘇大橋を渡った。一心行の桜を観たあと俵山のトンネルを通って帰った。
震災の数ヶ月前、阿蘇神社に初詣にいった。今年も初詣にいった。
正月は境内で参拝できた。1年経ったいまは境内に入れなくなっていた。
いままでごく当たり前のようにあったものがなくなった。当たり前だったものが姿を変えた。
最後に
熊本地震から1年が経ちました。
長かったような短かったような…早かったかな。
今回は自分が思っていることをそのまま書きました。1年前に起きたことを思い出しながら、そして1年後の今と思いを。
当たり前にあった日常は1人1人の記憶に残っていると思います。でもその記憶は薄れていくものでもあります。
だからぼくは記憶を記録として残すことにしました。カメラという道具で。そしてブログという媒体に。